かつて芸能事務所に所属していたことで知られる高田健志さん。
今回はそんな高田健志さんについて調べてみました!
高田健志のwiki的プロフィール!本名、年齢、出身など
本名:高田健志
生年月日:1985年12月16日
身長:180cm
血液型:B型
出身地:兵庫県加古川市
学歴:吉本総合芸能学院(NSC) 大阪校 卒(27期生)
高田健志さんは2009年から活動しているゲーム実況者です。
活動初期の頃は「蛟(か)」という名前で活動していましたが、この名前は『無双OROCHI』の実況Part2で「蛟(みずち)」というキャラを「蚊(か)」と読んでしまったことから来ているそうです。
高田健志さんが、始めて投稿した動画がこちら↓
Gacktが暴れまわるゲームを実況プレイ Part1
主役モデルにGACKTさんを起用し、『東方Project』のZUNさんがプログラミングにかかわり、豪華声優陣が出演。
高田建志さんが最初に選んだのは、ニッチな名作として知られる『武刃街』でした。
次に高田健志さんのプロフィールについて!
健志さんの生年月日は1985年12月16日。
身長は180mで、血液型はB型。
本名は活動名と同じ「高田健志」で、出身地は兵庫県であることを明かしています。
リプ見て思い出したけど
今日誕生日だった
32歳のおっさんです— 高田健志 (@kakaka1216) 2017年12月15日

高田建志の経歴(学歴、芸人、俳優)について
学歴について、健志さんは加古川市立中部中学校を卒業。
その後は東洋大学附属姫路高等学校に進み、卒業後は芸人養成所であるNSC大阪校に入学しました。
NSCでは前坂淳平(ものまね芸人)さん出会い、コンビ「プリティプリンセス」を結成。
結成した年にコンクールの決勝に進出するなどの活躍を見せますが、決勝の日に前坂淳平さんが失踪して、コンビは解散となってしまったようです。
その後、建志さんはトヨタ自動車の期間工などをして生計を立てていたようです。
2009年からは実況活動を始めそこそこの人気を獲得していたのですが、2012年に芸能事務所ゼルプロダクションと契約を結びます↓
本日から芸能プロダクションとマネイジメント契約を結ぶ事になりました、生放送などは続けても大丈夫と言われましたので今後も続けていく予定です、大きくもなければ小さくもない中小企業的なプロダクションですが自分の意思意欲などを反映してくれると思い契約に踏み切りました、皆応援しろ全力で
— 高田健志 (@kakaka1216) 2012年9月1日
以降、活動名を「蛟(か)」から「高田健志」に変えて、配信活動と平行して芸能活動をすることになります。
俳優としては『半沢直樹』にエキストラとして登場していたようですね。
しかし、ゼルプロダクションは2014年1月に社長が夜逃げして倒産、健志さんはフリーのタレントになりました。
ゼルプロ時代は権利が関わるものについての放送は禁止されていたので、それ以降はゲーム実況を始めます。
建志さんの経歴は紆余曲折ですが、現在は芸能活動よりも配信活動に重きを置いています。
ただ、ゼルプロ時代のマネージャーさんとは親交があるようです↓
あと今日ゼル時代マネージャーと雑談放送する!
古参しか楽しめないかもだけど、当時の懐古枠する!— 高田健志 (@kakaka1216) 2016年5月12日

高田健志はジャニーズに所属していた?
高田健志さんは中学時代はジャニーズ事務所に所属していました。
著名な活動としては「嵐」のバックダンサーをしていたことが挙げられます。
しかし、高校卒業後にNSCに入学しており、ジャニーズの道へは進んでいません。
もし本気でジャニーズを続けていたら、また違った伝説が生まれていたかもしれませんね。
ちなみに、建志さんはジャニーズでアイドルをやって、「プリティプリンセス」として芸人、ゼルプロで俳優をしているので、一通りの芸能活動はやっていることになります。
知名度や実績はともかく、それだけの経験をしている人はなかなかいないと思うので凄いことだと思いました。
仕事してる時間より、家でゴロゴロしたり生放送したりしてる時間の方が楽しいし好きだけど、その娯楽の時間すべて削って芸能の仕事をしたいと思う矛盾。
— 高田健志 (@kakaka1216) 2012年11月7日
現在は生放送が楽しいと言いつつも、少なからず芸能界への未練は残っているようです。

高田健志と加藤純一との関係、結婚式について
高田健志さんと加藤純一さんは、「蛟(か)」時代、ともに動画を配信していました。
二人の関係は、2009年ごろに加藤純一さんの雑談動画の話し相手に健志さんが立候補したことから始まりました。
その後二人は意気投合して、「かとさんけんさん」チャンネルを立ち上げています。
しかし2016年3月、7年間にわたって活動してきた2人の関係は突如として終わってしまいます。
きっかけは、当時「かとさんけんさん」の管理をしていた株式会社テクサが、ドワンゴからニコニコ超会議の「超会議のリポーター」の仕事を受けたことから始まりました。
企画書を見た健志さんは、超会議の目玉企画である「超野球」のMCに加藤純一さんを推薦します。
その後、ドワンゴは加藤純一さんの超会議出演を承諾。
テクサは健志さん経由で超会議出演が決まったことを加藤純一さんに伝えました。
このとき、健志さんは加藤純一さんを超野球に推薦していたため、「超会議出演」を「超野球MC出演」決定と勘違いして、その旨を加藤純一さんに伝えてしまいます。
そして数日後、超会議の詳細が伝えられると、加藤純一さんに「超野球MC」の役目がないことが発覚しました。
これを不審に思った加藤純一さんは、超会議への出演NGを伝えます。
加藤純一さんが超野球に出演できないことから、健志さんも「超野球を前提としたイベント」の内容を変えざるをえなくなりました。
この変更の打ち合わせはLINEで行われたようですが、加藤純一さんは仕事で忙しく、建志さんの連絡既読無視するような形になっていました。
これに怒った健志さんは、2016年3月25日にアフリカTVで放送された雑談配信で、「ある人」と名前を伏せつつ純一さんを批判。
これに対して加藤純一さんは配信で「裏事情を話さないでほしい」と話し、反省した健志さんはそれを了解します。
しかし、この配信で加藤純一さんがテクサを批判したことに対して、健志さんは「仕事をいただいたのに批判するのは許せない」と不満を爆発させます。
一度ならず二度までも内部事情に触れた健志さんに対し加藤純一さんは激怒。
すべての経緯を暴露して、健志さんとの決別を発表しました。
加藤純一さんは健志さんと共演しないし、名前を出すこともないとして、健志さんもこれを承諾。
7年間の友情はわずか一か月で終焉を迎えることになります。
現在でも二人の仲は冷え切っているようで、2017年4月29日に超会議で共演する機会があったときも喧嘩のようになってしまったそうなので、まだまだ関係の修復には時間がかかりそうです。
以上の経緯は、「3・28事件(仮称) – うんこちゃん@wiki.加藤純一 – アットウィキ」を参考にさせていただきました。
ちなみに、絶縁状態となった二人ですが、高田建志さんは加藤純一さんの結婚式の日に個人的なメッセージとしてお祝いの動画を上げています。

高田健志の伝説について
「高田健志の伝説」とは、ファンによって作られた建志さんの架空の伝説のことです。
伝説の荒唐無稽さ、バリエーションの豊かさから高田建志伝説はカルト的な人気を誇り、Twitterやブログなど各種メディアでまとめられています。
高田健志の挨拶「どんもー」は「獰猛」がなまったものであり、未だサバンナにいた頃の彼の気性が衰えていない事がわかる。
— 高田健志の伝説(復刻版) (@takadagod) 2018年4月20日
高田健志がタバコをくわえると、オリンポスの山で待機していた第一走者がトーチを手に取り、彼に火を届けるべく聖火リレーが始まった
— 高田健志の伝説(復刻版) (@takadagod) 2018年4月17日
両腕に残る注射痕から薬物使用疑惑が浮上した高田健志だったが、後に会見を開き、ミュータントとして捕えられ、投薬実験を受けた悲しい過去を明かした
— 高田健志の伝説(復刻版) (@takadagod) 2018年4月18日

まとめ
いかがだったでしょうか?
当サイトは健志さんの活動をこれからも応援していきたいと思います。
以上、ゲーム実況者高田健志の記事でした!
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